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静水圧で関節軟骨組織の再生を目指す

大学院医学系研究科 疾病生命工学センター
兼担 大学院工学系研究科 機械工学専攻
教授 牛田多加志

●50気圧の静水圧下で、軟骨細胞の組織形成能が高まる
 高齢化社会の進展で、関節の軟骨がすり減る変形性関節症が増えています。軟骨は骨と骨の間で衝撃を和らげる役割を担いますが、軟骨がなくなると骨同士がぶつかり合い、骨の中にある神経に触れ、激痛が走ります。そして、歩けなくなるなど生活の質(QOL)が著しく低下します。中年以降ではとくに膝の変形関節症を発症しやすく、日本では少なくとも100万人が罹患しているといわれています。治療として軟骨細胞を培養して注入する方法がありますが、成功率がまだ低いのが現状です。
 私どもは、ダメージを受けた軟骨組織そのものを再生し、患者の関節に移植する再生医療に取り組んでいます。軟骨は軟らかい骨と書きますが、膝などの関節の軟骨は歯が立たない程硬い組織です。わずか2mmほど厚さですが、軟骨には神経がないため、すり減っても痛みは感じず、軟骨の損傷が相当進行しないとわからないのです。
 軟骨細胞を効率よく増殖させ、硬い軟骨組織をいかに作るか。例えば、①軟骨組織の再生に効果のあるFGF(線維芽細胞増殖因子)などを用いる生化学的方法、②生分解性高分子などを使って軟骨組織の再生を行う方材料工学的方法などが試みられていますが、我々は機械COEならではの物理的な第3の方法に着目しています。
 それは、水深500 mの圧力に匹敵する50気圧の静水圧を軟骨細胞に負荷する方法です。これほどの高い静水圧を負荷する理由は、軟骨の90%は水で構成されており、軟骨は歩行等によって局所的に50気圧に達する静水圧が負荷されていることが知られているからであり、そのような物理的環境が軟骨細胞の組織形成能を高めると考えられるからです。実際、この方法で、軟骨細胞の凝集体に静水圧をかけることにより軟骨組織と同等の組織のエレメントを再構築することができました。
 しかしながら、生体の軟骨組織に匹敵する力学的特性を持つには、まだ不十分です。そこで、軟骨細胞が静静水圧の場をいかに感じるのか、遺伝子発現にかかわるシグナル伝達など軟骨細胞の物理刺激感受機構などを探る基礎的な研究を並行して進めているところです。将来的には、光重合性ポリマーなどで患者ごとの軟骨の構造を再現し、それをモールドとして軟骨組織を再構築することにより、テーラーメード医療に貢献したいと考えています。

●今後、医療工学の分野で求められるのは、自身の中に工学・医学双方の素養を備える人
 育ったのが愛知県刈谷市で、自動車関連の会社を興した親族が複数いたこともあり、自分も起業し独立したいと考えていました。しかしながら、大学院で人工腎臓の研究に出会ったとき、自分がやりたかったのは医療分野の基礎研究だと大変遅ればせながら気づきました。工業技術院機械技術研究所(現在の産業技術総合研究所)に入ったとき、当時の状況では常識外れ、異端でしたが、研究所内で動物細胞の培養を始めました。日本のバイオメカニクスの草分けである立石哲也教授に師事できたことが、私にとって大きなターニングポイントでした。
 医工連携は、工学、医学の研究者が連携するということですが、これは一昔前の言葉。医師の下請けではなく、医療工学の分野では、これからは一人の人間の中に工学・医学双方の素養を備える人が必要です。その意味で、学生には既存の学問分野を受け継ぎながら、一方で同時に新しい学問分野を切り開いていく、大きな夢を持ってほしいです。それには基本も大切。研究室では、一度覚えたら一生忘れない細胞培養技術の習得を全員に課しています。
 趣味は音楽で、社会人オーケストラで下手の横好きトロンボーンを吹いていたこともあります。電車の窓から外を眺めているときが好きです。日常の即物的なことから離れ、研究の難問を解決するようなヒント、ひらめきが極々まれに浮かんではまた消えます。博多出張は迷わず新幹線。そういう時間を大切にしています。

生理的静水圧の軟骨組織形成に及ぼす効果
図
関節軟骨細胞凝集体に静水圧を負荷したときと、負荷しないときの組織切片像。
ヘマトキシリン−エオシン染色は細胞核、細胞質が染色され、軟骨細胞の分布、
壊死の指標となる。一方、アルシアンブルー染色、サフラニン−O染色は
コンドロイチン硫酸・ヘパラン硫酸のようなプロテオグリカンを染色する。
静水圧を負荷することにより、軟骨組織の再構築が促進されることがわかる。

牛田多加志 教授 <略歴>
1979年東京大学工学部精密機械工学科卒業。1980年仏ナンシー大学医学部血液センター留学(文部省国費留学生)、85年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了(工学博士)。同年通商産業省工業技術院機械技術研究所(現・産業技術総合研究所)に入所。92年筑波大学大学院医学研究科助教授(併任)を経て、2000年東京大学大学院工学系研究科機械工学専攻助教授、2003年東京大学大学院医学系研究科疾患生命工学センター教授、大学院工学系研究科機械工学専攻を兼担。

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