21世紀COEプログラム   MSI
TOP
プロジェクトの趣旨
機械システム・イノベーション国際研究教育センター
事業推進組織
担当専攻・研究所
活動
Newsletter
受賞
インタビュー
リンク
お問い合わせ

自動操縦と遠隔操作をハイブリッド装備した海底資源探査ロボットの開発

東京大学生産技術研究所 海中工学研究センター
浦環 センター長

●世界で初めてロボットによる熱水活動と熱水チムニーの発見・報告を達成
 私は海底資源の探査ロボットを製作しています。海底資源の探査は、①海底地図で有望な場所を見つける、②数kmのグリッドでサンプルコア(柱状コア)を入手、解析して噴出物のありそうな場所を絞り込む、③自律型海中ロボット(AUV; Autonomous Underwater Vehicle)を使って、100m単位のグリッドでプログラムされた測線でたどり、熱水鉱床の兆候がある場所を特定、④有索無人潜水機(ROV; Remotely Operated Vehicle)や有人深海艇で直に鉱床を映像や画像で確認、といった手順で行われます。こうした探査ではAUVやROVといった複数のロボットが必要でした。この過程を1つのロボットで行うべく、新たに開発したのが「ツナサンド(TUNA-SAND; Terrain base Underwater Navigable AUV for Seafloor And Natural resources Development)」です。
 ツナサンドには着脱可能な光ファイバーケーブルがあり、必要に応じて遠隔操作を行うことができます。自動操縦で送られてくる映像を見ながら、操縦者はここというときに遠隔操作に切り替えて詳しく観察することが可能。1台でAUVとROVの両方(AUV/ROV)を行います。これこそ、海底探査でこれまでAUVの弱点だった、見たいところをその場で確認するという点を克服した画期的なものです。
 2007年8月16〜26日の調査で、早速ツナサンドは成果をあげました。鹿児島湾水深200mの地点で半自動操縦によって激しく熱水が噴出する熱水噴出孔を発見。そのうちの1つは3mに及ぶチムニーを形成しており、熱水鉱床を形成している可能性もあります。今回の発見は、AUV/ROVによる世界で初めての熱水活動と熱水チムニーの発見・ビデオ撮影の報告となりました。

●ロボットに新しい冒険を!
 研究室に飾ってある鉄腕アトムのように、冒険ができるロボットをつくる、そして、ロボットに冒険をさせる、それが私の研究テーマです。ヒトが行けないような場所へロボットが出かけていき、ヒトがやれないことをロボットが行う。一つの課題がクリアできたら、さらに難しい課題をつくって挑戦する。自分がロボットに託す課題と同じで、若い人にはどんどん挑戦を広げていってほしいですね。多少ハードルが高くても、若いときには買ってでも苦労した方がいい。そうやって自分たちのつくるロボットがより高度な冒険を続けていくことを、ともに楽しみたいですね。
 海に潜るロボットには2つの異なるテーマがあります。1つは広いところをどうカバーしていくか、2つめは逆にピンポイントをどうやって攻めるか。広い海域については、AUVほど役に立つものはありません。ほとんど独壇場です。しかし、ピンポイントでの観測、これはROVや有人潜水艇の出番でした。ツナサンドはこの両方の利点を生かすことができます。
 2008年3月、ツナサンドはいよいよ明神礁を目指します。明神礁は過去に海底火山噴火によって多くの犠牲者を出した、いわくつきの海域。まさに海の怖さと同時に海底鉱床などの豊かさ、その両方を併せ持つ海域です。ツナサンドにこの海域で大きな海底鉱床を発見するという新しい冒険をさせます。ツナサンドの探査可能水深は1500m、これはそもそも明神礁の海底の深さを設定したものなのです。さらに今後はマニピュレータを積んでサンプリングもできるように設計し、ゆくゆくはあらゆる海底鉱床探査をこの1台で行えるようにするつもりです。
 ロボットが新たな冒険を行うことが楽しいし、何よりワクワクしますね。

図
ツナサンド(TUNA-SAND; Terrain base Underwater Navigable AUV for Seafloor
And Natural resources Development)。AUVとROVを両方行うことができる。
全長1.1m×幅0.7m×高さ0.71m(アンテナ部を除く)。空中重量240kg、耐圧深度1500m、最高速度2.5knots。

浦環 センター長
<略歴>
1977年東京大学工学系大学院船舶工学専攻修了。工学博士。1978年東京大学生産技術研究所助教授。1992年東京大学生産技術研究所教授。1999年より同付属海中工学研究センター長。日本造船学会賞(1979年、1994年、1997年)、日本機械学会技術賞(1999年)ほか受賞多数。

←インタビューTOPへ

↑ページのTOPへ