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大学院工学系研究科 機械工学専攻 教授 酒井信介 ●化学プラントや原発の科学的なメンテナンス方法を追求 大学院の学位論文のテーマとして信頼性工学を選び、以来ずっとこの分野での研究を続けています。中でも破壊力学とリスクベース工学を主にしています。リスクベース工学は機械や構造物のメンテナンスにリスクマネジメントの概念を導入するもので、リスクを「破損確率と影響度の積」で定義し、評価して検査やメンテナンスをするための理論です。 機械や原子力発電所の設備は一般に長期に連続運転をするほうが効率がよく、メンテナンスの経費も下がります。しかし、日本ではとくに頻繁かつルーティンな検査が一般的で、効率が悪く、年月が経つにつれ、検査プログラムと実際に見つかる損傷の差が大きくなります。また、検査の回数が増えると、例えば原発では検査担当者の被ばく量が増える危険性が高くなります。毎回同じ検査をすることで、思考停止に陥りやすいのもデメリットです。許容できる欠陥と許容できない欠陥を評価によって判定して、画一的でないメンテナンスを行うことが必要です。安全の確保という社会的責任を全うしながら、科学的あるいは経済的にメンテナンスや使い続けられるかの評価を行うための学問がリスクベース工学なのです。 現在、原子力分野では日本機械学会の維持規格分科会、非原子力分野では高圧力技術協会のRBM(risk based maintenance)研究会でリスクベース工学に基づくメンテナンスのガイドラインづくりを行っています。また、経産省・産学連携製造中核人材育成事業として、リスクマネジメントを行う人材の養成、原子力発電所や化学プラントなどの配管の破損の兆候の事例を集める破損確率データベースの構築にも携わっています。このような活動を通して、研究成果を社会に生かし、信頼性工学を日本に根づかせられればと考えています。 21世紀COEプログラムでは、ハイパーモデリング/シミュレーション・プロジェクトでMEMS(micro electro mechanical systems)をはじめとする材料強度や界面のマルチスケール解析を担当しています。解析のベースとなるのは有限要素法や分子動力学、電子密度解析です。 昨年メーカーとの共同研究で開発したゆるまないボルトナットは、シミュレーションの成果のひとつです。まずボルトとボルトナットがゆるんでいく様子をコンピューターでシミュレーションし、その結果から、ナットの側面に切り込みを入れた後、上から圧力をかけて湾曲させるという方法を開発しました。こうすると、ねじ山の接触面が均一でなくなるため、ゆるみにくくなるのです。このボルトナットは米国航空宇宙局(NASA)の基準に合わせた100万回の振動実験でもゆるまず、スパナなどではずせて、再度使うこともできます。 |
●常に社会とのつながりを意識して研究を 小さいときから機械が好きで、高校時代は秋葉原にしょっちゅう通い、ラジオやアンプを作っていました。 修士課程で恩師の岡村弘之教授(前・東京理科大学学長)に信頼性工学、リスクベース工学というテーマを与えられたときには、この分野の研究者はほとんどいませんでしたし、その重要性もいまひとつピンと来なかったのですが、研究を続けるうちにその必要性、テーマの深さ、リスクにまつわる社会のひずみが見えてきて、研究に使命を感じるようになりました。今の社会でのニーズの高まりを考えると、教授の先見性に感謝しています。 リスクベース工学の専門家としては、自身の生活もリスクマネジメントしなければと考えています。安全管理の基本はPDCA(Plan Do Check Action)のサイクルを回すことで、朝、1日の計画を立てて実行し、チェックして改善することを目標にしています。 若い研究者たちには大学にいるときから、常に社会とのつながりを考えてほしいと願っています。大学では高いレベルで理論研究をしていても、産業界はそこまでのレベルではないところで悩んでいるケースも多く、その間を埋める努力が研究者の側にも必要です。どうしたら自分の研究が社会の役に立つのかを意識することが工学者としての基本だと考えています。 |
ボルトがゆるむメカニズムを有限要素法を用いコンピューターでシミュレーションした。 有限要素法は計算対象の領域を細かくメッシュに分け、その小領域に共通の関数を使って 計算し、全体の和を求める方法で、単純に解析できない対象に用いられる。この研究の 成果が、ねじ山の接触面を不均一にした、ゆるまないボルトナットの開発につながった。 |
<略歴> 1975年東京大学工学部機械工学科卒業後、80年東京大学大学院工学系研究科博士課程(舶用機械工学専攻)修了、工学博士。同年から東京大学工学部講師、81年に助教授となる。95年大学院工学研究科助教授、97年から現職。 |
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